心の中のアメリカは、あの頃から続いている

心の中のアメリカは、あの頃から続いている

64年式のおじさんは、まんまとアメリカのプロパガンダに取り込まれた世代である。といっても押しつけられたというよりは、テレビ画面の向こうから自然と染み込んできたアメリカに魅せられてしまった、と言ったほうが正しいかもしれない。

 

小学校高学年から中学生にかけて、当時のテレビでは毎日のようにアメリカのドラマが放送されていた。刑事コロンボのよれたレインコート、警部マクロードが乗る馬の蹄の音、刑事スタスキー&ハッチの赤いボディにホワイトラインのフォードグラントリノ。ロックフォードの事件メモでは、主人公が住む海辺のトレーラーハウスの佇まいに心を奪われ、白バイ野郎ジョン&パンチでは彼らが乗るカワサキZ1000Pのバイクとカリフォルニアの陽射しそのものが眩しく映った。画面に映し出されるアメリカの街並、街路樹の影、ハイウェイを横切る風、パトカーのサイレン。どれも日本の風景とはまるで違っており、どこか夢の国のような雰囲気さえあった。自分がその世界に入り込んでいるような気持ちで、毎週食い入るようにテレビを見ていた。

 

さらに世界の料理ショーのキッチンの広さ、冷蔵庫の大きさ、カウンターの長さに衝撃を受けた。「こんなに広くて豪華なのか、日本の台所とは大違いじゃないか」と、幼心にアメリカという国が途方もなく豊かで自由な場所に思えた。そうして、気づけばどんどんアメリカの魅力に取り憑かれていった。

▲ビデオデッキなるものは家に無かったので、部屋を暗くしてカメラで撮るしかなかった。もちろんラジカセをテレビにくっつけて音だけ録音もした。当然親の声も入ったりして激怒

 

高校生になると、雑誌「ポパイ」がバイブルのような存在だった。誌面に載るアイビーやトラッドの着こなしに心を奪われ、バイトで稼いだお金はほとんど洋服に消えていった。あの頃の日本の若者文化は、確かにアメリカへの憧れで満ちていた。だが、それが単なる流行だからではなく、自分にとっては本物のアメリカへ近づこうとする小さな手がかりでもあった。

▲誌面から溢れ出るアメリカ 暮らしや日用品のかっこよさや着こなしなど、学生の時は指をくわえてただ見ているしかなかった

 

もともと絵を描くことが好きだったこともあり、鈴木英人氏の鮮やかなイラストや佐々木悟朗氏の透明感あふれる水彩画にも強く惹かれた。彼らが描くアメリカの空気には、自分が夢中で追いかけていた風景そのものがあった。片岡義男の文庫本に挟まれる、何気なく切り取られたアメリカの写真たち。その一枚一枚も胸をざわつかせた。そこに写る道のヒビや光の角度、古い看板の錆びまでもが、アメリカを感じさせた。そして自分もいつかカメラを手にアメリカのどこかを歩いてみたいと思うようになった。

▲当時自分の部屋には佐々木悟朗氏のイラストを飾ったり、少しでもアメリカぽい雰囲気にしたかった

 

やがて写真への関心が強まり、日本でアメリカっぽい風景を探しては撮り歩いた。しかし、いくら似せたところで、どこか違う。空気の乾き方、陽の当たり方、そして建物の古び方。どれもアメリカではなかった。アメリカそのものをこの目で見たい、という思いは日に日に強くなった。

▲なるべく日本語が入らないように、そしてアメリカらしく見えるように撮っていたが、やはりどうしても寄りの写真が多くなってしまうのはしょうがない

 

そして1988年、ついにハワイ行きの旅に出る。たった4日間の完全フリー行動のパック旅行。目的はただひとつ、写真を撮るためである。空港に降り立った瞬間、乾いた南国の風が頬に触れたとき、「アメリカに来た」と胸が熱くなった。今までテレビや雑誌の中でしか見たことのなかった景色が、目の前に実在している。街を歩くだけで心がざわつき、シャッターを切る指が止まらなかった。ただ夢中で撮り続けた。

▲コダクローム6436枚撮りを20本以上持っていっただろうか。とにかく撮りまくった。本物がそこにはあった

 

若い頃、成長していく途中で深く刻まれたアメリカという存在は、もう二度と消えることはない。どれだけ年月を重ねても、あの光と風と色彩は心の中にある。だからこそ、あの日々に触れた証のようにアメリカを感じるもの、風景の写真やイラスト、古い雑貨、ロードサインなど、そういったものを手に入れてはずっと側に置いておきたい。手を伸ばせばすぐそこにアメリカが感じられるように。あの青春時代の眩しさとともに。
これからも私はそんな「アメリカ」をひとつずつ集めながら、あの頃の憧れと共に生きていくと思う。

▲37年前のおじさん。当時と変わらず好きなアメリカに囲まれて過ごしたい

 

by おじさん64年式

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