ミラージュボウルとジョー・モンタナ、そしてアイビーの記憶
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1982年の冬、国立競技場のスタンド。あの日、私の人生を彩る大きな「二つの情熱」が、冷たくも澄んだ空気の中で鮮烈に交差した。
当時高校生だった私を待っていたのは、友人からチケットがあるから一緒に行こうと誘われたミラージュボウル。当時はまだルールすら知らなかったアメリカンフットボールという競技が、まさかこれほどまでに自分の心を揺さぶるとは想像もしていなかった。
「本物」がやってきた―ミラージュボウルの衝撃
1980年代初頭、インターネットもSNSもない時代において、アメリカのカレッジフットボールがそのまま日本にやってくる「ミラージュボウル」は、単なるスポーツの試合以上の意味を持っていたと思う。それは国立競技場という場所に突如として現れた「アメリカそのもの」だった。
フィールドに目を向ければ、大学生とは思えないほど屈強な男たちが原色に近い鮮やかなユニフォームと、誇り高き大学のロゴが貼られたヘルメットを被り激しくぶつかり合う。サイドラインでは、映画から飛び出してきたような美しいチアリーダーたちが華麗に舞い、スタジアム全体を「本場」の熱気で包み込んでいる。

試合前に響き渡るアメリカ国歌のメロディ。そのカッコよさに高校生の私は感動したのだった。NFLの公式球や機能美を極めたヘルメット、道具のひとつひとつに至るまで、すべてが日本にはない「ダイレクトなアメリカ」を感じさせてくれた。
あの日、興奮のなかで購入した大会プログラムは、当時のワクワクを鮮明に思い出させてくれるタイムカプセルのように、今も私の手元に大切に保管してある。

ジョー・モンタナとフットボールへの心酔
ミラージュボウルで火がついたアメフトへの情熱は、その後テレビでのNFL観戦へと広がっていった。当時の私のヒーローはサンフランシスコ・49ersを率いたクォーターバック、ジョー・モンタナ。
彼はまさに「奇跡」を体現する存在で、「ザ・ドライブ」として語り継がれることになる極限のプレッシャーの中での逆転劇。モンタナが放つパスの一投一投に私は酔いしれた。冷静沈着でありながら土壇場で試合をひっくり返す圧倒的な勝負強さ。彼のプレイスタイルこそが私の思う「アメリカの強さ」そのものだった。
1983年ライスボウル、アイビー小僧の「勝負服」
アメフトへの熱狂と並行して私はもうひとつのアイデンティティを育んでいた。雑誌『メンズクラブ』をバイブルとする筋金入りの「アイビー小僧」としてのこだわり。
1983年1月、日本のアメフト最高峰を決める「第36回ライスボウル」。国立競技場で行われたこの一戦に、私はある「密かな決意」を持って出かけた。当時のメンクラの人気名物コーナー「街のアイビーリーガーズ」の撮影隊がライスボウル会場に来るという情報を掴んでいたからだ。
絶対に誌面に載ってやる
そう意気込んだ私の勝負服は、完璧なまでに作り込んだアイビー・スタイル。 ボタンダウンシャツに、キリリと締めたレジメンタルタイ。その上にはネイビーブレザーを合わせ、ボトムスはセンタープレスの入ったフラノのパンツ、足元はもちろんローファー。そして大勢のアイビーファンが集まる中で「違い」を出すための決め手が、ネイビーブレザーの上から羽織った「スパニッシュコート」。
ボリュームのあるコーディロイのコートと、端正なトラッドスタイルのレイヤード。スタジアムの喧騒の中、ひとりのカメラマンが私を見つけ、レンズを向けたのだった。
後日発売された『メンズクラブ』の誌面に、あの日の自分の姿を見つけた時の喜びは言葉にならなかった。アメリカを象徴するスポーツと自分が憧れ抜いたファッションが、国立競技場という聖地で重なった瞬間。それは私の青春時代における最高の思い出として今も輝き続けている。

MEN’S CLUB 1983年3月号に載ったおじさん
おまけ
当時アメフトの番組(どのTV局などの情報は忘れてしまったが)のテーマ曲になっていたのが、ボブジェームスのタッチダウン。
この曲を聴くと高校生の頃を思い出す。
by おじさん64年式