よみもの

伝説の「マザーロード」誕生100周年へ。ルート66が語りかけるアメリカの魂と、一冊のカレンダーの物語

伝説の「マザーロード」誕生100周年へ。ルート66が語りかけるアメリカの魂と、一冊のカレンダーの物語

どこまでも続く一本道、地平線に沈む巨大な夕陽、そしてルート66の象徴である「盾型」のロードサイン。 アメリカンカルチャーを愛する者にとって、ルート66は単なる道路以上の存在です。2026年、この伝説の道は誕生から100周年という大きな節目を迎えます。 今回はこの道が歩んできた激動の歴史と、その魅力を余すことなく切り取った特別なカレンダーについてご紹介します。 地図から消えても色褪せない「ルート66」のストーリー アメリカ合衆国がまだ若く、開拓の熱気が残っていた1926年。 イリノイ州シカゴからカリフォルニア州サンタモニカまで、全米8州、約3,800kmを結ぶ広大な国道が誕生しました。それが「Route 66(ルート66)」です。 作家ジョン・スタインベックは、その著書の中でこの道を「マザーロード(母なる道)」と呼びました。大恐慌時代、より良い暮らしを求めて西へ向かった人々にとって、この道は唯一の希望の架け橋だったのです。 偶然から生まれた「66」というアイコン ルート66という数字の並びには興味深い背景があります。当初は「60」という番号が予定されていましたが、州同士の番号争奪戦により調整が難航。そこで当局が提案したのが、まだどこの州も使っていなかったゾロ目の「66」でした。 「覚えやすく、ロゴにした時のバランスが良い」という、当時の直感的な美意識で決まったこの数字は、後に世界で最も有名なロードサインのデザインとなりました。 標識に刻まれた「州の誇り」 ヴィンテージコレクターが熱狂するディテールに、1950年代以前の標識があります。現在のレプリカには「ROUTE」と書かれることが多いですが、当時の本物には「CALIFORNIA」や「ARIZONA」など、その道が通る「州の名前」が刻印されていました。 それは、それぞれの州がこの道に強い誇りを持っていた証拠でもあります。1985年に高速道路の発達によって一度は地図から消えたルート66ですが、人々の心からは決して消えることはありませんでした。 雑誌『Cal』編集長・秋元一利が歩いた「マザーロードの記憶」 ルート66が持つ「静寂」と「躍動」。その両面を誰よりも深く理解している一人の旅人がいます。雑誌『Cal』の編集長として、長年アメリカンカルチャーの深淵を発信し続けてきた秋元一利氏です。 秋元氏がルート66に惹かれる理由。それはこの道がアメリカの夢と挫折、そして再生のすべてを内包しているからに他なりません。 彼は何度も現地へ足を運び、自らステアリングを握ってこの道を駆け抜けました。彼がレンズを通して見つめてきたのは、単なる観光地の風景ではありません。 ・路地裏にひっそりと佇むヴィンテージカー ・砂埃に埋もれかけたガソリンスタンド ・長い年月を経て塗装が剥がれ落ちたロードサイン 秋元氏の写真は、そこに生きた人々の「物語の断片」を写し出します。それは長年この文化に寄り添ってきた者だけが持つ、独特の「温度感」と「敬意」に溢れています。 ▼雑誌『Cal』編集長・秋元一利氏 撮影「Route 66 100th Anniversary カレンダー」 →購入はこちら 2026年、あなたの日常に「ルート66」の風が吹く...

伝説の「マザーロード」誕生100周年へ。ルート66が語りかけるアメリカの魂と、一冊のカレンダーの物語

どこまでも続く一本道、地平線に沈む巨大な夕陽、そしてルート66の象徴である「盾型」のロードサイン。 アメリカンカルチャーを愛する者にとって、ルート66は単なる道路以上の存在です。2026年、この伝説の道は誕生から100周年という大きな節目を迎えます。 今回はこの道が歩んできた激動の歴史と、その魅力を余すことなく切り取った特別なカレンダーについてご紹介します。 地図から消えても色褪せない「ルート66」のストーリー アメリカ合衆国がまだ若く、開拓の熱気が残っていた1926年。 イリノイ州シカゴからカリフォルニア州サンタモニカまで、全米8州、約3,800kmを結ぶ広大な国道が誕生しました。それが「Route 66(ルート66)」です。 作家ジョン・スタインベックは、その著書の中でこの道を「マザーロード(母なる道)」と呼びました。大恐慌時代、より良い暮らしを求めて西へ向かった人々にとって、この道は唯一の希望の架け橋だったのです。 偶然から生まれた「66」というアイコン ルート66という数字の並びには興味深い背景があります。当初は「60」という番号が予定されていましたが、州同士の番号争奪戦により調整が難航。そこで当局が提案したのが、まだどこの州も使っていなかったゾロ目の「66」でした。 「覚えやすく、ロゴにした時のバランスが良い」という、当時の直感的な美意識で決まったこの数字は、後に世界で最も有名なロードサインのデザインとなりました。 標識に刻まれた「州の誇り」 ヴィンテージコレクターが熱狂するディテールに、1950年代以前の標識があります。現在のレプリカには「ROUTE」と書かれることが多いですが、当時の本物には「CALIFORNIA」や「ARIZONA」など、その道が通る「州の名前」が刻印されていました。 それは、それぞれの州がこの道に強い誇りを持っていた証拠でもあります。1985年に高速道路の発達によって一度は地図から消えたルート66ですが、人々の心からは決して消えることはありませんでした。 雑誌『Cal』編集長・秋元一利が歩いた「マザーロードの記憶」 ルート66が持つ「静寂」と「躍動」。その両面を誰よりも深く理解している一人の旅人がいます。雑誌『Cal』の編集長として、長年アメリカンカルチャーの深淵を発信し続けてきた秋元一利氏です。 秋元氏がルート66に惹かれる理由。それはこの道がアメリカの夢と挫折、そして再生のすべてを内包しているからに他なりません。 彼は何度も現地へ足を運び、自らステアリングを握ってこの道を駆け抜けました。彼がレンズを通して見つめてきたのは、単なる観光地の風景ではありません。 ・路地裏にひっそりと佇むヴィンテージカー ・砂埃に埋もれかけたガソリンスタンド ・長い年月を経て塗装が剥がれ落ちたロードサイン 秋元氏の写真は、そこに生きた人々の「物語の断片」を写し出します。それは長年この文化に寄り添ってきた者だけが持つ、独特の「温度感」と「敬意」に溢れています。 ▼雑誌『Cal』編集長・秋元一利氏 撮影「Route 66 100th Anniversary カレンダー」 →購入はこちら 2026年、あなたの日常に「ルート66」の風が吹く...

カリフォルニアの風と歴史を運ぶ。LA・ローズボウルで発掘した「本物」のロードサイン物語

カリフォルニアの風と歴史を運ぶ。LA・ローズボウルで発掘した「本物」のロードサイン物語

どこまでも続く乾いたアスファルト、突き抜けるような青い空、そしてラジオから流れるロック、ポップス、カントリーミュージック。 アメリカのドライブ旅行で誰もが目にする風景の一部でありながら、強烈な個性を放つ脇役たち。それが「ロードサイン(道路標識)」です。 映画のワンシーンで見たあの景色を、自分の部屋やガレージに再現したい。 そんな想いを抱くアメリカンカルチャーファンのために、私たちは海を渡りました。 行き先はアメリカ西海岸、カリフォルニア州ロサンゼルス。 世界中のヴィンテージ好きが憧れる聖地で手に入れた、紛れもない「本物」のロードサインをご紹介します。これは単なる鉄の板ではありません。アメリカの交通史と、実際に路上で刻まれた時間が詰まった「歴史の証人」なのです。 聖地「ローズボウル」の朝は早い ロサンゼルス・ダウンタウンから北東へ車を走らせること約20分。高級住宅街としても知られるパサデナに、その巨大なスタジアムはあります。 「ローズボウル・スタジアム(Rose Bowl Stadium)」。 普段は大学アメリカンフットボールの聖地として知られるこの場所で、毎月第2日曜日に開催されるのが、全米最大級のフリーマーケット「ローズボウル・フリーマーケット」です。 今回販売するロードサインは、すべてこの場所で私たちが直接買い付けたものです。 買い付けの朝は、まだ空が暗いうちから始まります。 懐中電灯を片手に広大な敷地に並ぶブースを回る。世界中からバイヤーが集まるこの場所では、良い商品は夜明け前に売れてしまうからです。 早朝の冷たく乾いた空気の中、コーヒーの香りと共に、何千、何万というヴィンテージアイテムの山を掘り返す。その熱気はまさに「宝探し」。 そんな中、ひときわ存在感を放っていたのが、今回ご紹介するロードサインの山でした。 持ち上げるとずっしりと重い。 安価なブリキのレプリカとは明らかに違う、分厚いアルミニウムの質感。 表面にはカリフォルニアの強い日差しと雨風に耐えてきた証である、細かな傷や塗装の掠れ。 「これは、いい顔をしている」 直感でそう感じた私たちは、その場にあった良質なサインを厳選し、日本へと持ち帰りました。 ここからはそれぞれのサインに隠された「うんちく」と共に、その魅力をご紹介していきましょう。 1. 道路の王様、八角形の「STOP」 アメリカの道路標識と聞いて真っ先に思い浮かぶのがこの赤い八角形でしょう。 しかしなぜ「八角形」なのかご存じですか? これには明確な理由があります。「雪が積もって文字が見えなくなっても、裏側から見ても、誰が見ても『止まれ』だと分かるため」です。 他の標識にはない独特な形状は、最も優先度が高い命令であることを示しています。 今回入手したのは、実際に街角で車を止め続けてきた貫禄のある一枚。...

カリフォルニアの風と歴史を運ぶ。LA・ローズボウルで発掘した「本物」のロードサイン物語

どこまでも続く乾いたアスファルト、突き抜けるような青い空、そしてラジオから流れるロック、ポップス、カントリーミュージック。 アメリカのドライブ旅行で誰もが目にする風景の一部でありながら、強烈な個性を放つ脇役たち。それが「ロードサイン(道路標識)」です。 映画のワンシーンで見たあの景色を、自分の部屋やガレージに再現したい。 そんな想いを抱くアメリカンカルチャーファンのために、私たちは海を渡りました。 行き先はアメリカ西海岸、カリフォルニア州ロサンゼルス。 世界中のヴィンテージ好きが憧れる聖地で手に入れた、紛れもない「本物」のロードサインをご紹介します。これは単なる鉄の板ではありません。アメリカの交通史と、実際に路上で刻まれた時間が詰まった「歴史の証人」なのです。 聖地「ローズボウル」の朝は早い ロサンゼルス・ダウンタウンから北東へ車を走らせること約20分。高級住宅街としても知られるパサデナに、その巨大なスタジアムはあります。 「ローズボウル・スタジアム(Rose Bowl Stadium)」。 普段は大学アメリカンフットボールの聖地として知られるこの場所で、毎月第2日曜日に開催されるのが、全米最大級のフリーマーケット「ローズボウル・フリーマーケット」です。 今回販売するロードサインは、すべてこの場所で私たちが直接買い付けたものです。 買い付けの朝は、まだ空が暗いうちから始まります。 懐中電灯を片手に広大な敷地に並ぶブースを回る。世界中からバイヤーが集まるこの場所では、良い商品は夜明け前に売れてしまうからです。 早朝の冷たく乾いた空気の中、コーヒーの香りと共に、何千、何万というヴィンテージアイテムの山を掘り返す。その熱気はまさに「宝探し」。 そんな中、ひときわ存在感を放っていたのが、今回ご紹介するロードサインの山でした。 持ち上げるとずっしりと重い。 安価なブリキのレプリカとは明らかに違う、分厚いアルミニウムの質感。 表面にはカリフォルニアの強い日差しと雨風に耐えてきた証である、細かな傷や塗装の掠れ。 「これは、いい顔をしている」 直感でそう感じた私たちは、その場にあった良質なサインを厳選し、日本へと持ち帰りました。 ここからはそれぞれのサインに隠された「うんちく」と共に、その魅力をご紹介していきましょう。 1. 道路の王様、八角形の「STOP」 アメリカの道路標識と聞いて真っ先に思い浮かぶのがこの赤い八角形でしょう。 しかしなぜ「八角形」なのかご存じですか? これには明確な理由があります。「雪が積もって文字が見えなくなっても、裏側から見ても、誰が見ても『止まれ』だと分かるため」です。 他の標識にはない独特な形状は、最も優先度が高い命令であることを示しています。 今回入手したのは、実際に街角で車を止め続けてきた貫禄のある一枚。...

教科書はマリブビーチのトレーラーハウス。ロックフォードの事件メモに憧れて

教科書はマリブビーチのトレーラーハウス。ロックフォードの事件メモに憧れて

中学生の頃、ブラウン管越しに釘付けになったあの景色。 「ロックフォードの事件メモ(The Rockford Files)」は、単なる探偵ものという枠を超えて、「アメリカ」を教えてくれた教科書のような存在でした。 大人になった今だからこそふり返りたい、ジム・ロックフォードが教えてくれた「憧れのライフスタイル」と、その美学について。 砂浜の上の秘密基地:マリブのトレーラーハウス このドラマを語る上で絶対に外せないのが、主人公ジム・ロックフォードの自宅兼事務所です。マリブビーチの駐車場にポツンと置かれたトレーラーハウス。中学生だった私の目には、それが世界で一番格好いい「城」に見えました。 豪華なオフィスビルではなく、波音が聞こえるビーチの駐車場。その「あえて選んだ世捨て人感」と「プロフェッショナルな隠れ家感」のバランスが絶妙だったのです。こんな所でこんなふうに住みたい!どうしてここは日本なんだ!そう思ったものです。 画面を食い入るように見た「机の上の小道具たち」 オープニング、電話のベルとともに映し出されるデスク周りの小道具。アメリカンな電話機。そしてメッセージが流れる留守番電話。 「自分の机もこうしたい!」と、英語が書かれたメモや外国のタバコをわざと置いてみたり。あの少し使い込まれた家具やキッチンに並ぶパッケージの色彩…。それらすべてが異国の文化への扉でした。欲しくても住んでいる田舎じゃ手に入らない。ビデオも無いので、とにかく画面に映る情景を目に焼きつけていました。 街角に宿るアメリカ:ポンティアックと路上の風景 愛車のゴールドのポンティアック・ファイヤーバード・エスプリ。 派手なアメ車ではなく、彼が選んだのはあえて控えめな「エスプリ」というグレード。 このあえて少し落ち着いた「エスプリ」を選ぶあたりに、ロックフォードの渋いセンスを感じます。彼がこの車を巧みに操り、犯人を追うシーンやカーチェイスは爽快でした。 しかし、私が本当に追いかけていたのは、窓の外を流れていく「日常のアメリカ」でした。鮮やかな赤い消火栓。信号機や道路標識。ダイナーのネオンサインと広い駐車場。公衆電話。郵便ポスト。すれ違うピックアップトラック。ポリスカーやサイレン音。 ドラマの筋書きよりも背景に映り込む1970年代のロサンゼルスの街並み、その空気の乾燥具合まで伝わってきそうな映像を、一生懸命に目で追っていました。それは中学生の自分にとっては宇宙旅行と同じくらい遠く輝かしい世界だったのです。行きたくても行けなかった。   ジェームス・ガーナーが体現した「等身大のヒーロー」 このドラマが愛され続けた最大の理由は、やはり主演のジェームス・ガーナーの人間味あふれる演技にあるのかなと思います。ジム・ロックフォードは決して無敵のスーパーマンではありません。依頼料の支払いにヤキモキする。格闘になれば普通に殴られるダメおやじ。警察(友人のベッカー刑事)には煙たがられ、親父のジョゼフには説教される。そんな「不完全な大人」だからこそ、私たちは彼を身近に感じ信頼を寄せることができました。 皮肉屋だけど根は優しく自分の美学を曲げない。ジェームス・ガーナーが演じたからこそロックフォードというキャラクターに深みと、どこか悲哀を帯びた色気が宿ったのでしょう。 また憎めない友人エンジェルとのやり取りや父親ジョゼフとの親子愛など、登場人物たちの掛け合いもこのドラマをただのハードボイルドに終わらせない魅力でした。 ジェームス・ガーナーが亡くなった今も、彼が演じたジム・ロックフォードはマリブのビーチで潮風に吹かれながら鳴り止まない留守電にため息をついているような気がします。豪華な暮らしではなく自分の好きなトレーラーハウスで、好きなクルマを転がし自分らしく生きる。 そんな彼のライフスタイルこそ、今改めて憧れる「真の贅沢」かもしれません。 今、手の届く範囲で「あの頃のワクワク」を再現する 大人になった今、私はマリブのビーチに住んでいるわけでもなく、私立探偵にもなっていません。けれどあの頃に抱いた「アメリカへの憧れ」は、今も消えずに残っています。 完璧なトレーラーハウスは手に入らなくても、デスクの上にメモ帳を置き、アメリカンな電話機(今はインテリアかもしれないけれど)やステーショナリーなどを並べる。英語が書かれたパッケージの箱をポンと置いておくだけで、視界の端に「1970年代のマリブ」がチラつく。 あの頃ブラウン管にかじりついて見ていたワクワク感は、こうした小さな「本物の欠片」を集めることで、今も私の心の中で生き続け、コーヒーの香りがいつもより少しだけカリフォルニアの潮風に近づくような気がするのです。 中学生だったあの頃、ブラウン管の中に見た景色。 それは単なる異国の風景ではなく、「自分の好きなものに囲まれて過ごしたい」という未来への希望だったのかもしれません。...

教科書はマリブビーチのトレーラーハウス。ロックフォードの事件メモに憧れて

中学生の頃、ブラウン管越しに釘付けになったあの景色。 「ロックフォードの事件メモ(The Rockford Files)」は、単なる探偵ものという枠を超えて、「アメリカ」を教えてくれた教科書のような存在でした。 大人になった今だからこそふり返りたい、ジム・ロックフォードが教えてくれた「憧れのライフスタイル」と、その美学について。 砂浜の上の秘密基地:マリブのトレーラーハウス このドラマを語る上で絶対に外せないのが、主人公ジム・ロックフォードの自宅兼事務所です。マリブビーチの駐車場にポツンと置かれたトレーラーハウス。中学生だった私の目には、それが世界で一番格好いい「城」に見えました。 豪華なオフィスビルではなく、波音が聞こえるビーチの駐車場。その「あえて選んだ世捨て人感」と「プロフェッショナルな隠れ家感」のバランスが絶妙だったのです。こんな所でこんなふうに住みたい!どうしてここは日本なんだ!そう思ったものです。 画面を食い入るように見た「机の上の小道具たち」 オープニング、電話のベルとともに映し出されるデスク周りの小道具。アメリカンな電話機。そしてメッセージが流れる留守番電話。 「自分の机もこうしたい!」と、英語が書かれたメモや外国のタバコをわざと置いてみたり。あの少し使い込まれた家具やキッチンに並ぶパッケージの色彩…。それらすべてが異国の文化への扉でした。欲しくても住んでいる田舎じゃ手に入らない。ビデオも無いので、とにかく画面に映る情景を目に焼きつけていました。 街角に宿るアメリカ:ポンティアックと路上の風景 愛車のゴールドのポンティアック・ファイヤーバード・エスプリ。 派手なアメ車ではなく、彼が選んだのはあえて控えめな「エスプリ」というグレード。 このあえて少し落ち着いた「エスプリ」を選ぶあたりに、ロックフォードの渋いセンスを感じます。彼がこの車を巧みに操り、犯人を追うシーンやカーチェイスは爽快でした。 しかし、私が本当に追いかけていたのは、窓の外を流れていく「日常のアメリカ」でした。鮮やかな赤い消火栓。信号機や道路標識。ダイナーのネオンサインと広い駐車場。公衆電話。郵便ポスト。すれ違うピックアップトラック。ポリスカーやサイレン音。 ドラマの筋書きよりも背景に映り込む1970年代のロサンゼルスの街並み、その空気の乾燥具合まで伝わってきそうな映像を、一生懸命に目で追っていました。それは中学生の自分にとっては宇宙旅行と同じくらい遠く輝かしい世界だったのです。行きたくても行けなかった。   ジェームス・ガーナーが体現した「等身大のヒーロー」 このドラマが愛され続けた最大の理由は、やはり主演のジェームス・ガーナーの人間味あふれる演技にあるのかなと思います。ジム・ロックフォードは決して無敵のスーパーマンではありません。依頼料の支払いにヤキモキする。格闘になれば普通に殴られるダメおやじ。警察(友人のベッカー刑事)には煙たがられ、親父のジョゼフには説教される。そんな「不完全な大人」だからこそ、私たちは彼を身近に感じ信頼を寄せることができました。 皮肉屋だけど根は優しく自分の美学を曲げない。ジェームス・ガーナーが演じたからこそロックフォードというキャラクターに深みと、どこか悲哀を帯びた色気が宿ったのでしょう。 また憎めない友人エンジェルとのやり取りや父親ジョゼフとの親子愛など、登場人物たちの掛け合いもこのドラマをただのハードボイルドに終わらせない魅力でした。 ジェームス・ガーナーが亡くなった今も、彼が演じたジム・ロックフォードはマリブのビーチで潮風に吹かれながら鳴り止まない留守電にため息をついているような気がします。豪華な暮らしではなく自分の好きなトレーラーハウスで、好きなクルマを転がし自分らしく生きる。 そんな彼のライフスタイルこそ、今改めて憧れる「真の贅沢」かもしれません。 今、手の届く範囲で「あの頃のワクワク」を再現する 大人になった今、私はマリブのビーチに住んでいるわけでもなく、私立探偵にもなっていません。けれどあの頃に抱いた「アメリカへの憧れ」は、今も消えずに残っています。 完璧なトレーラーハウスは手に入らなくても、デスクの上にメモ帳を置き、アメリカンな電話機(今はインテリアかもしれないけれど)やステーショナリーなどを並べる。英語が書かれたパッケージの箱をポンと置いておくだけで、視界の端に「1970年代のマリブ」がチラつく。 あの頃ブラウン管にかじりついて見ていたワクワク感は、こうした小さな「本物の欠片」を集めることで、今も私の心の中で生き続け、コーヒーの香りがいつもより少しだけカリフォルニアの潮風に近づくような気がするのです。 中学生だったあの頃、ブラウン管の中に見た景色。 それは単なる異国の風景ではなく、「自分の好きなものに囲まれて過ごしたい」という未来への希望だったのかもしれません。...

ミラージュボウルとジョー・モンタナ、そしてアイビーの記憶

ミラージュボウルとジョー・モンタナ、そしてアイビーの記憶

1982年の冬、国立競技場のスタンド。あの日、私の人生を彩る大きな「二つの情熱」が、冷たくも澄んだ空気の中で鮮烈に交差した。 当時高校生だった私を待っていたのは、友人からチケットがあるから一緒に行こうと誘われたミラージュボウル。当時はまだルールすら知らなかったアメリカンフットボールという競技が、まさかこれほどまでに自分の心を揺さぶるとは想像もしていなかった。 「本物」がやってきた―ミラージュボウルの衝撃 1980年代初頭、インターネットもSNSもない時代において、アメリカのカレッジフットボールがそのまま日本にやってくる「ミラージュボウル」は、単なるスポーツの試合以上の意味を持っていたと思う。それは国立競技場という場所に突如として現れた「アメリカそのもの」だった。 フィールドに目を向ければ、大学生とは思えないほど屈強な男たちが原色に近い鮮やかなユニフォームと、誇り高き大学のロゴが貼られたヘルメットを被り激しくぶつかり合う。サイドラインでは、映画から飛び出してきたような美しいチアリーダーたちが華麗に舞い、スタジアム全体を「本場」の熱気で包み込んでいる。 試合前に響き渡るアメリカ国歌のメロディ。そのカッコよさに高校生の私は感動したのだった。NFLの公式球や機能美を極めたヘルメット、道具のひとつひとつに至るまで、すべてが日本にはない「ダイレクトなアメリカ」を感じさせてくれた。 あの日、興奮のなかで購入した大会プログラムは、当時のワクワクを鮮明に思い出させてくれるタイムカプセルのように、今も私の手元に大切に保管してある。   ジョー・モンタナとフットボールへの心酔 ミラージュボウルで火がついたアメフトへの情熱は、その後テレビでのNFL観戦へと広がっていった。当時の私のヒーローはサンフランシスコ・49ersを率いたクォーターバック、ジョー・モンタナ。 彼はまさに「奇跡」を体現する存在で、「ザ・ドライブ」として語り継がれることになる極限のプレッシャーの中での逆転劇。モンタナが放つパスの一投一投に私は酔いしれた。冷静沈着でありながら土壇場で試合をひっくり返す圧倒的な勝負強さ。彼のプレイスタイルこそが私の思う「アメリカの強さ」そのものだった。 1983年ライスボウル、アイビー小僧の「勝負服」 アメフトへの熱狂と並行して私はもうひとつのアイデンティティを育んでいた。雑誌『メンズクラブ』をバイブルとする筋金入りの「アイビー小僧」としてのこだわり。 1983年1月、日本のアメフト最高峰を決める「第36回ライスボウル」。国立競技場で行われたこの一戦に、私はある「密かな決意」を持って出かけた。当時のメンクラの人気名物コーナー「街のアイビーリーガーズ」の撮影隊がライスボウル会場に来るという情報を掴んでいたからだ。 絶対に誌面に載ってやる そう意気込んだ私の勝負服は、完璧なまでに作り込んだアイビー・スタイル。 ボタンダウンシャツに、キリリと締めたレジメンタルタイ。その上にはネイビーブレザーを合わせ、ボトムスはセンタープレスの入ったフラノのパンツ、足元はもちろんローファー。そして大勢のアイビーファンが集まる中で「違い」を出すための決め手が、ネイビーブレザーの上から羽織った「スパニッシュコート」。 ボリュームのあるコーディロイのコートと、端正なトラッドスタイルのレイヤード。スタジアムの喧騒の中、ひとりのカメラマンが私を見つけ、レンズを向けたのだった。 後日発売された『メンズクラブ』の誌面に、あの日の自分の姿を見つけた時の喜びは言葉にならなかった。アメリカを象徴するスポーツと自分が憧れ抜いたファッションが、国立競技場という聖地で重なった瞬間。それは私の青春時代における最高の思い出として今も輝き続けている。 MEN’S CLUB 1983年3月号に載ったおじさん   おまけ当時アメフトの番組(どのTV局などの情報は忘れてしまったが)のテーマ曲になっていたのが、ボブジェームスのタッチダウン。 この曲を聴くと高校生の頃を思い出す。   by おじさん64年式

ミラージュボウルとジョー・モンタナ、そしてアイビーの記憶

1982年の冬、国立競技場のスタンド。あの日、私の人生を彩る大きな「二つの情熱」が、冷たくも澄んだ空気の中で鮮烈に交差した。 当時高校生だった私を待っていたのは、友人からチケットがあるから一緒に行こうと誘われたミラージュボウル。当時はまだルールすら知らなかったアメリカンフットボールという競技が、まさかこれほどまでに自分の心を揺さぶるとは想像もしていなかった。 「本物」がやってきた―ミラージュボウルの衝撃 1980年代初頭、インターネットもSNSもない時代において、アメリカのカレッジフットボールがそのまま日本にやってくる「ミラージュボウル」は、単なるスポーツの試合以上の意味を持っていたと思う。それは国立競技場という場所に突如として現れた「アメリカそのもの」だった。 フィールドに目を向ければ、大学生とは思えないほど屈強な男たちが原色に近い鮮やかなユニフォームと、誇り高き大学のロゴが貼られたヘルメットを被り激しくぶつかり合う。サイドラインでは、映画から飛び出してきたような美しいチアリーダーたちが華麗に舞い、スタジアム全体を「本場」の熱気で包み込んでいる。 試合前に響き渡るアメリカ国歌のメロディ。そのカッコよさに高校生の私は感動したのだった。NFLの公式球や機能美を極めたヘルメット、道具のひとつひとつに至るまで、すべてが日本にはない「ダイレクトなアメリカ」を感じさせてくれた。 あの日、興奮のなかで購入した大会プログラムは、当時のワクワクを鮮明に思い出させてくれるタイムカプセルのように、今も私の手元に大切に保管してある。   ジョー・モンタナとフットボールへの心酔 ミラージュボウルで火がついたアメフトへの情熱は、その後テレビでのNFL観戦へと広がっていった。当時の私のヒーローはサンフランシスコ・49ersを率いたクォーターバック、ジョー・モンタナ。 彼はまさに「奇跡」を体現する存在で、「ザ・ドライブ」として語り継がれることになる極限のプレッシャーの中での逆転劇。モンタナが放つパスの一投一投に私は酔いしれた。冷静沈着でありながら土壇場で試合をひっくり返す圧倒的な勝負強さ。彼のプレイスタイルこそが私の思う「アメリカの強さ」そのものだった。 1983年ライスボウル、アイビー小僧の「勝負服」 アメフトへの熱狂と並行して私はもうひとつのアイデンティティを育んでいた。雑誌『メンズクラブ』をバイブルとする筋金入りの「アイビー小僧」としてのこだわり。 1983年1月、日本のアメフト最高峰を決める「第36回ライスボウル」。国立競技場で行われたこの一戦に、私はある「密かな決意」を持って出かけた。当時のメンクラの人気名物コーナー「街のアイビーリーガーズ」の撮影隊がライスボウル会場に来るという情報を掴んでいたからだ。 絶対に誌面に載ってやる そう意気込んだ私の勝負服は、完璧なまでに作り込んだアイビー・スタイル。 ボタンダウンシャツに、キリリと締めたレジメンタルタイ。その上にはネイビーブレザーを合わせ、ボトムスはセンタープレスの入ったフラノのパンツ、足元はもちろんローファー。そして大勢のアイビーファンが集まる中で「違い」を出すための決め手が、ネイビーブレザーの上から羽織った「スパニッシュコート」。 ボリュームのあるコーディロイのコートと、端正なトラッドスタイルのレイヤード。スタジアムの喧騒の中、ひとりのカメラマンが私を見つけ、レンズを向けたのだった。 後日発売された『メンズクラブ』の誌面に、あの日の自分の姿を見つけた時の喜びは言葉にならなかった。アメリカを象徴するスポーツと自分が憧れ抜いたファッションが、国立競技場という聖地で重なった瞬間。それは私の青春時代における最高の思い出として今も輝き続けている。 MEN’S CLUB 1983年3月号に載ったおじさん   おまけ当時アメフトの番組(どのTV局などの情報は忘れてしまったが)のテーマ曲になっていたのが、ボブジェームスのタッチダウン。 この曲を聴くと高校生の頃を思い出す。   by おじさん64年式

摩天楼とAOR、そしてパーラメント。あの「大人の夜」を覚えていますか?

摩天楼とAOR、そしてパーラメント。あの「大人の夜」を覚えていますか?

今のテレビ番組を眺めていると、ふと「あの一本」が恋しくなることがあります。タバコの味そのものではなく、あの時代、テレビの画面越しに漂っていた「豊かで少し背伸びをしたくなるような空気感」のことです。 80年代から90年代初頭のバブル期。当時のテレビCMは今では考えられないほどタバコの名作で溢れていました。   画面越しに憧れた「渋さ」と「美しさ」 セブンスター、マイルドセブン、ラーク、マルボロ、キャメル…。 どの銘柄も、まるで短編映画のようなクオリティでした。荒野を駆けるカウボーイや、異国の街角で佇む渋い俳優たち。あるいは美しい女性の場合も。そこには単なる嗜好品を超えた「スタイル」がありました。 中でも、私がもっとも「洗練された大人の世界」を感じたのは、間違いなく「パーラメント」のCMだったのです。   ニューヨークの夜景と心を溶かすAORの調べ パーラメントのCMといえば真っ先に思い浮かぶのがニューヨークの摩天楼です。 深いネイビーに染まった夜空と、宝石を撒き散らしたようなビル群の灯り。そしてそれらを背景に流れるメロウな楽曲たち。 当時私はパーラメントを吸っていません。それでもあの映像が流れると、ふっと意識がどこか遠く、まだ見ぬ「ニューヨークのバー」へと運ばれるような気がしたものです。薄暗いカウンターでお酒を傾けながら、ゆっくりと煙をくゆらす…そんな贅沢でロマンチックな時間に憧れを抱いていました。 五感で蘇る、あの青い夜景の記憶 活字や記憶を辿るだけでも胸が熱くなりますが、実際に映像を目にすると一瞬にしてあの時代に引き戻されます。 ここに1983年から1993年までのパーラメントのCMをまとめた貴重なアーカイブ動画があります。 映像の冒頭から、あの象徴的な「自由の女神」や「WTC」が映し出され、ボビー・コールドウェルの甘い歌声が重なります。9分間にわたるこの映像集を眺めていると、当時の自分が背伸びをして見ていた「大人の世界」が、いかに丁寧で、かつロマンチックに描かれていたかがよくわかります。 画面の中でタバコに火を灯す男性の仕草、タクシーのライト、雨に濡れたアスファルト…。今の高精細な4K映像とは違う、少し粒子感のある当時の質感が、よりいっそうノスタルジーを掻き立てます。 ここであの映像を彩った名曲たちを振り返ってみましょう。 Bobby Caldwell「What you won’t do for love」「Stay with me」「Back to you」「Heart of...

摩天楼とAOR、そしてパーラメント。あの「大人の夜」を覚えていますか?

今のテレビ番組を眺めていると、ふと「あの一本」が恋しくなることがあります。タバコの味そのものではなく、あの時代、テレビの画面越しに漂っていた「豊かで少し背伸びをしたくなるような空気感」のことです。 80年代から90年代初頭のバブル期。当時のテレビCMは今では考えられないほどタバコの名作で溢れていました。   画面越しに憧れた「渋さ」と「美しさ」 セブンスター、マイルドセブン、ラーク、マルボロ、キャメル…。 どの銘柄も、まるで短編映画のようなクオリティでした。荒野を駆けるカウボーイや、異国の街角で佇む渋い俳優たち。あるいは美しい女性の場合も。そこには単なる嗜好品を超えた「スタイル」がありました。 中でも、私がもっとも「洗練された大人の世界」を感じたのは、間違いなく「パーラメント」のCMだったのです。   ニューヨークの夜景と心を溶かすAORの調べ パーラメントのCMといえば真っ先に思い浮かぶのがニューヨークの摩天楼です。 深いネイビーに染まった夜空と、宝石を撒き散らしたようなビル群の灯り。そしてそれらを背景に流れるメロウな楽曲たち。 当時私はパーラメントを吸っていません。それでもあの映像が流れると、ふっと意識がどこか遠く、まだ見ぬ「ニューヨークのバー」へと運ばれるような気がしたものです。薄暗いカウンターでお酒を傾けながら、ゆっくりと煙をくゆらす…そんな贅沢でロマンチックな時間に憧れを抱いていました。 五感で蘇る、あの青い夜景の記憶 活字や記憶を辿るだけでも胸が熱くなりますが、実際に映像を目にすると一瞬にしてあの時代に引き戻されます。 ここに1983年から1993年までのパーラメントのCMをまとめた貴重なアーカイブ動画があります。 映像の冒頭から、あの象徴的な「自由の女神」や「WTC」が映し出され、ボビー・コールドウェルの甘い歌声が重なります。9分間にわたるこの映像集を眺めていると、当時の自分が背伸びをして見ていた「大人の世界」が、いかに丁寧で、かつロマンチックに描かれていたかがよくわかります。 画面の中でタバコに火を灯す男性の仕草、タクシーのライト、雨に濡れたアスファルト…。今の高精細な4K映像とは違う、少し粒子感のある当時の質感が、よりいっそうノスタルジーを掻き立てます。 ここであの映像を彩った名曲たちを振り返ってみましょう。 Bobby Caldwell「What you won’t do for love」「Stay with me」「Back to you」「Heart of...

アメリカンなモノたちに囲まれていたい欲望

アメリカンなモノたちに囲まれていたい欲望

高校生の頃、友人が駅の売店で買った一冊の雑誌が、のちの人生を大きく変えることになった。その雑誌は「POPEYE」Magazine for City Boysというキャッチコピーを掲げた、都会感に満ちたスタイルのアイコンだ。   ある日、友人と出かけた帰り道の駅の売店で、彼がふと買ったPOPEYEを読み終わったあと、何気なく「あげる」と渡してくれた。その時のことは今でも鮮明に覚えている。   当時の自分は田舎の高校生で、アメリカの文化やライフスタイルに触れる術はTVの中でしかなかった。だからこそ、その雑誌の中にあふれていたアメリカという空気は、また別の新しい世界への扉のように感じられた。   雑誌を開いた瞬間、ページの向こう側に広がっていたのは、それまでの人生で味わったことのないものだった。ファッション、音楽、スケートボード、サーフカルチャー。そして、アメリカの雑貨や小物たち。そのどれもが今までの自分の世界には存在しなかった景色だった。   特に衝撃だったのは雑貨や小物たちの存在だ。ファッションや音楽はもちろん魅力的だったが、それ以上に自分の部屋にも置けるような小さな雑貨たちが、信じられないほど鮮やかに目に映った。   POPEYEの中で今でも好きなのは1982年2月10日号「毎日がアメリカ見本市」だ。表紙には、まるで小さなアメリカを箱に詰め込んだような仕切りの中に無数のアイテムがぎっしり並んだディスプレイ。キーホルダー、ブックマッチ、ダラスカウボーイズの缶バッジ、ヴィンテージ風のピン、アメリカンフラッグのモチーフ、どれもこれもアメリカ文化の香りが詰まっていた。 ページを開けば、さらに夢のような世界が続く。雑誌に掲載された小物の多くは、編集部が直接アメリカで買い付けたというもの。価格はドル表示。高校生の自分には、それが「アメリカの空気を直に吸ってきた証拠」のように思えて仕方がなかった。   そしてもうひとつ、1981年12月10日号「クリスマスにはコレおくれ」だ。大きなギフトボックスの表紙から始まり、ページをめくるたびに現れるカラフルな雑貨たちが飛び込んできて、アメリカのクリスマスの空気を想像するだけで胸が浮き立った。 ▲当時の自分にとってワクワクする商品がここぞとばかりにあふれ出る誌面 ▲商品の小さな写真をずっと見ながら、これもあれも欲しい!と悶絶する毎日だった   当時の自分の部屋は、おもしろくもないごくありふれた空間だった。しかし、ひとつ雑貨を置くだけで部屋の空気が変わる気がした。   例えばポパイで見たようなステッカーを壁に貼る、輸入雑貨店で見つけた小さな小物を机に置く、ただそれだけで自分の部屋が少し「アメリカに近づいた」ように感じるのだ。   もちろん買えるものには限界がある。アルバイト代と少しのお小遣いではドル表示の商品を買うことなど到底できなかった。だからこそ日本で見つけた雑貨ひとつ買う時の喜びは大きかったし、買えない物への憧れはさらに膨らんでいった。   あれから40年以上。社会人になり、仕事をし、多くの時間を経た今でもアメリカン雑貨への情熱はまったく色あせていない。むしろ大人になったことで、当時は手が届かなかったものにも手を伸ばせるようになり、楽しみ方がより深くなった気さえしている。特にアンティーク雑貨には時間の積み重ねが宿っている。色あせた看板、日焼けした木箱、ヤレ感のあるブリキの雑貨。それらに触れるたびにアメリカを象徴する陽射しや空気、無骨さや遊び心が手に取れるような気がする。   ▲好きなものだけに囲まれて過ごす。夢を叶えよう  ...

アメリカンなモノたちに囲まれていたい欲望

高校生の頃、友人が駅の売店で買った一冊の雑誌が、のちの人生を大きく変えることになった。その雑誌は「POPEYE」Magazine for City Boysというキャッチコピーを掲げた、都会感に満ちたスタイルのアイコンだ。   ある日、友人と出かけた帰り道の駅の売店で、彼がふと買ったPOPEYEを読み終わったあと、何気なく「あげる」と渡してくれた。その時のことは今でも鮮明に覚えている。   当時の自分は田舎の高校生で、アメリカの文化やライフスタイルに触れる術はTVの中でしかなかった。だからこそ、その雑誌の中にあふれていたアメリカという空気は、また別の新しい世界への扉のように感じられた。   雑誌を開いた瞬間、ページの向こう側に広がっていたのは、それまでの人生で味わったことのないものだった。ファッション、音楽、スケートボード、サーフカルチャー。そして、アメリカの雑貨や小物たち。そのどれもが今までの自分の世界には存在しなかった景色だった。   特に衝撃だったのは雑貨や小物たちの存在だ。ファッションや音楽はもちろん魅力的だったが、それ以上に自分の部屋にも置けるような小さな雑貨たちが、信じられないほど鮮やかに目に映った。   POPEYEの中で今でも好きなのは1982年2月10日号「毎日がアメリカ見本市」だ。表紙には、まるで小さなアメリカを箱に詰め込んだような仕切りの中に無数のアイテムがぎっしり並んだディスプレイ。キーホルダー、ブックマッチ、ダラスカウボーイズの缶バッジ、ヴィンテージ風のピン、アメリカンフラッグのモチーフ、どれもこれもアメリカ文化の香りが詰まっていた。 ページを開けば、さらに夢のような世界が続く。雑誌に掲載された小物の多くは、編集部が直接アメリカで買い付けたというもの。価格はドル表示。高校生の自分には、それが「アメリカの空気を直に吸ってきた証拠」のように思えて仕方がなかった。   そしてもうひとつ、1981年12月10日号「クリスマスにはコレおくれ」だ。大きなギフトボックスの表紙から始まり、ページをめくるたびに現れるカラフルな雑貨たちが飛び込んできて、アメリカのクリスマスの空気を想像するだけで胸が浮き立った。 ▲当時の自分にとってワクワクする商品がここぞとばかりにあふれ出る誌面 ▲商品の小さな写真をずっと見ながら、これもあれも欲しい!と悶絶する毎日だった   当時の自分の部屋は、おもしろくもないごくありふれた空間だった。しかし、ひとつ雑貨を置くだけで部屋の空気が変わる気がした。   例えばポパイで見たようなステッカーを壁に貼る、輸入雑貨店で見つけた小さな小物を机に置く、ただそれだけで自分の部屋が少し「アメリカに近づいた」ように感じるのだ。   もちろん買えるものには限界がある。アルバイト代と少しのお小遣いではドル表示の商品を買うことなど到底できなかった。だからこそ日本で見つけた雑貨ひとつ買う時の喜びは大きかったし、買えない物への憧れはさらに膨らんでいった。   あれから40年以上。社会人になり、仕事をし、多くの時間を経た今でもアメリカン雑貨への情熱はまったく色あせていない。むしろ大人になったことで、当時は手が届かなかったものにも手を伸ばせるようになり、楽しみ方がより深くなった気さえしている。特にアンティーク雑貨には時間の積み重ねが宿っている。色あせた看板、日焼けした木箱、ヤレ感のあるブリキの雑貨。それらに触れるたびにアメリカを象徴する陽射しや空気、無骨さや遊び心が手に取れるような気がする。   ▲好きなものだけに囲まれて過ごす。夢を叶えよう  ...